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最遊記歌劇伝の新作公演決定!Darkness編とOasis編を原作から推察

2019年1月2日、最遊記歌劇伝の新作公演決定がアナウンスされました。前作「最遊記歌劇伝RELOAD」から4年。昨年9月には同作のスピンオフ「最遊記歌劇伝~異聞~」も公開されましたし、今年からまた最遊記界隈が賑やかになりそうです。

玄奘三蔵役、鈴木拡樹さんも新作公演決定ツイートされてましたね。そしてこの方も。

峰倉せんせ───!ご自愛ください!!

「最遊記歌劇伝Relord」のラストシーンに出てきたヘイゼル・ガトのシルエット。つまり続編制作は、この時点でほぼ決定事項。なのに、待てども待てどもアナウンスがない。これはつまりあれか、メインキャストが売れっ子になったからスケジュール押さえるのが大変で……?目処が立たないとかそういう……?と勘繰ったりしましたが、ようやく最遊記歌劇伝Relordの続編決定!めでたい!

最遊記歌劇伝の新作公演について解説

さて、2019年と20年に順次公開される、最遊記歌劇伝最新作。19年が「Darkness編」、20年が「Oasis編」。原作を読んでいる方はこのタイトルでどのエピソードかピン!ときたと思うのですが、各作品の内容を原作から推察してみたいと思います。

Darkness編

まず「Darkness編」。これは題名からして、最遊記RELOAD6巻~7巻に掲載されているEven a worm16~23を題材にとった作品でしょう。以下、原作からざっくりとしたあらすじ。

西行の途中、路地裏で話をしていた玄奘三蔵と悟空。そこを何者かに襲撃され、悟空が瀕死の重傷を負ってしまいます。烏哭三蔵法師の仕業と気付いた玄奘は、騒ぎを聞きつけ駆け寄ってきた悟浄と八戒に悟空を預け、1人、烏哭を探して駆け出す。

致命傷を負った悟空を助けるには、禁錮を外して斉天大聖の力を利用するしかない。斉天大聖となり暴走する悟空を止めるため、後を悟浄に託し、八戒は制御装置を外して妖怪化します。激闘ののち、なんとか悟空を押さえつけて禁錮をはめることに成功。しかし八戒はこの戦闘で重症。

冷静さを取り戻した玄奘が戻ってきたとき、悟浄は彼に対して静かな怒りをぶつけ、悟空・八戒を抱えて去っていきます。この騒動を期に、玄奘は悟空・悟浄・八戒と別行動をとることに。玄奘が向かったのは、烏哭三蔵への手がかりとなるヘイゼルの元。なんやかんやで、以降しばらく玄奘はヘイゼル・ガトと行動を伴にし、彼らの動きはサブプロットとして展開していきます。

Oasis編に玄奘三蔵役、鈴木拡樹さんのクレジットがないため、Darkness編は三蔵別行動→ヘイゼル・ガトに合流→人間の町に到着→オアシスを巡り人間と妖怪との戦争勃発→三蔵ら、人間を見放し町を離れる、の流れかと。おそらく原作Even a worm27までの人間サイドの話を丸ごと引っ張ってくるのではないでしょうか。で、Oasis編で妖怪サイドを描く。そのほうがまとまり良いですし。

悟空を傷つける烏哭、悟空を傷つけられた玄奘がそれぞれ抱いたもの、それが「限りなく、純粋な殺意」。最遊記歌劇伝Darkness編のキャッチコピーにもなっているフレーズです。

最遊記RELOAD7巻23p
出典:最遊記 RELOAD 7巻 23P

Oasis編

次に、Oasis編。これは最遊記RELOADのEven a worm24~27を題材にとった作品と思われます。以下原作から、ざっくりとしたあらすじ。

玄奘が去ったことで旅の目的を失った悟空・悟浄・八戒の3人は、とある妖怪の村に逗留します。この村はオアシスの泉を占領している人間たちと対立中。水を奪われ、いつ戦争が始まったもおかしくないほど追い詰められていました。

そしてある日、人間に仲間を殺害されたことがトリガーとなり妖怪たちは決起。悟空は村で出会った妖怪の少女とちょっといい感じになっていたのですが、彼女自身から戦闘に参加する意思を告げられ、「たとえ死のうとも自分に誇れる生き方がしたい、アンタなら分かるだろ」と告白されます。

悟空はこの少女との出逢いで、己を見つめ直すことになります。今まで玄奘三蔵を絶対的存在としてきた悟空。この旅も玄奘が行くというから着いてきただけ。そんな悟空が玄奘の庇護から離れ男として成長する……それが最遊記RELOADシリーズなのです。

三蔵一行ではなくなってしまった3人。妖怪の村でも余所者扱いされ、自分たちの居場所はどこにあるのかと自問する。Even a worm25のカラー見開きに添えられた言葉が「俺達は──何処へ急ぐ」、Oasis編のキャッチコピーになっているフレーズです。

最遊記RELOAD8巻2829p
出典:最遊記 RELOAD 8巻 28,29P

Oasis編で描かれるのは、おそらくEven a worm27まで。ここで一度区切りをつけ、次の新作でヘイゼル過去編と絡めつつ、Even a worm28~36「烏哭VS三蔵一行+ヘイゼル&ガト」を描くと思われます。で、普通に考えればそのあとちょっとインターバル置いてから「最遊記歌劇伝~外伝~」ですよねぇ。

最遊記シリーズの主題について

原作の最遊記には、シリーズごとに「主題」が設けられてます。知っておくと最遊記歌劇伝が2倍楽しめる最遊記の「主題」。シリーズごとに振り返ってみましょう。

最遊記(無印)

無印最遊記の主題は「無一物」。シリーズ中、幾度も繰り返されるこのフレーズは、玄奘三蔵が師父・光明から授かった教えのひとつ。

「『仏に逢えば仏を殺せ 祖に逢えば祖を殺せ』 何者にも捕らわれず縛られず ただあるがままに己を生きること だから俺は殺し続ける 俺の行く手を阻む全ての物を それが誰の敵であれ同じことだ」

出典:最遊記4巻 第19話Misty

この主題に関しては、最遊記9巻カミサマ編で玄奘三蔵の口から読者へ、一つの答えが提示されました。

「無一物という言葉がある 師が俺に残した言葉だ だが全てを捨てて生きることが正しいのか俺は俺なりの解釈でここまで来たつもりだったが むしろ俺が何よりも捕らわれていたのは無一物という言葉そのものだったんだ 迷いはない 俺には俺の生き方がある 玄奘三蔵の称える無一物がある」

出典:最遊記9巻54話 Nothing to give

最遊記RELOAD

そして、最遊記RELOADシリーズの主題は「一寸の虫にも五分の魂」。これは最遊記RELOAD8巻で玄奘三蔵がヘイゼルに説いた言葉で、続編BLASTシリーズにも引き継がれることになります。

「『一寸の虫にも五分の魂』──知っているか」

「……?虫ケラかて平等に生きてはる、いう言葉やろ。なんや三蔵はんらしくない陳腐な説教やね」

「フン、西に帰って辞書でも引き直したらどうだ」

「……なんやて?」

「『魂』ってのは命のことじゃねえ──『誇り』だ」

最遊記RELOAD8巻 Even a worm26

ヘイゼルに「『魂』は、命ではなく誇りのことだ」と説く玄奘。最高僧・玄奘三蔵と、ヘイゼルの格の違いが描かれ、同時にヘイゼルを通して読者にも「五分の魂」という問いが投げかけられる。この問いに対する答えは最遊記RELOAD10巻、八戒と玄奘の会話によって一応の答えが出ます。「五分の魂」それすなわち、三蔵一行である。

「アイツら……現状理解できてんのか?」

「理解してますよ多分 あの強力な力の前には、僕ら虫ケラみたいな物だって──でもまあ『五分の魂』って奴ですよ」

「──上等だ。」

最遊記RELOAD10巻 Even a worm34

つまり、妖怪の村での出来事は「烏哭VS三蔵一行」の伏線であり、烏哭登場の暗示であり、最遊記RELOADシリーズの主題だったわけです。「五分の魂」の意味を正しく理解している八戒、理解できないヘイゼルという対比も象徴的。

ヘイゼルたちと行動をともにし、人間が占領するオアシスに身を置いていた玄奘は、五分の誇りも持たず、妖怪を罠にはめ殺害しようとする人間の醜さを目にしました。そして妖怪の村で悟空が出会った妖怪の少女、死ぬと分かっていながら彼女が戦いに身を投じたのは自身の「誇り」のためでした。

そして原作、最遊記外伝でも「誇りとは何か」を嫌というほど見せつけられます。特に捲簾のモノローグ「どんな場所でもそれがどんな姿であっても 咲いて咲いて誇りを抱いて散るその日まで」。

「五分の魂」というフレーズは、この2つのストーリー、そして外伝を繋ぐキーの役割も果たしているんですね。

Darkness編とOasis編で、最遊記歌劇伝はこの主題をどのようにアレンジするのか。楽しみでもあり少し怖くもあり……。Oasis編に関しては妖怪の少女の存在、それ自体が重要な意味を持っているので、女性ファンに配慮して~みたいな極めてしょうもない理由で少女を少年に脚色するのは絶対やめてほしい。

公式
『最遊記歌劇伝』公式サイト – CLIE

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