シルクロードの書籍や映像作品の中で、私が何度も観返しているのがNHKが2005年に放送した「新シルクロード」シリーズ。今回はその新シルクロード第7回「青海 天空をゆく」の内容と感想を、備忘録も兼ねてここに書き残しておきたいと思います。
NHK新シルクロード「青海 天空をゆく」、発端
新シルクロードシリーズは全10回構成。その中でも私が特に好きなのが第7回「青海 天空をゆく」です。この回で出てくる「青海の道」、別名「天空のシルクロード」は、中国・青海省の中心都市である西寧から西へ進み、都蘭、ゴルムドを通ってアルチン山脈を越え、タクラマカン砂漠に抜けてメインルートに合流するもうひとつのシルクロードのこと。
青海の道は青蔵高原を東西に貫く道で、青蔵高原に入ると標高3000メートルを越えることから「天空のシルクロード」と呼ばれるようになりました。これまではシルクロードのサブルートにすぎないと考えられてきた青海の道が、古代、東西交易の重要な交易路であったことを明らかにしていくのが、この新シルクロード第7回なのです。
番組は、青海の道の始発点である中国青海省・西寧の地からスタート。取材班が青海省の文物考古研究所を訪ね、青海の道にあるオアシス「都蘭」にある古墳「熱水大墓(ねっすいたいぼ)」から出土したシルクの数々を映像に収めています。
熱水大墓から出土したシルクは6~9世紀のもので、その数は350点にも及びます。これは「吐谷渾(とよくこん)」と呼ばれる交易の民が、5~7世紀ごろ青海の道で運んでいたものです。このシルクのうち8割が中国製、残りの2割は今の中央アジアで織られたものです。青海の道で発見されたシルクは、これまで質量ともに世界有数とされてきた敦煌出土のシルクに匹敵するものでした。
珍しい文様や金箔を織り込んだシルクの他に、ギリシャ神話の太陽神・アポロンをモチーフにした一風変わったシルクもあります(紅地雲珠太陽神錦)。アポロンは座禅を組む仏像のように描かれていますが、これはヨーロッパの文化がシルクロードを通って中国に伝わる中で仏教化した結果だと考えられています。
アポロンの上には天蓋も描かれており、この文様は屋根付きの建物の中に人物が配置された構図を特徴としています。これとよく似た構造のシルクが、日本の奈良正倉院に所蔵されています。正倉院宝物の「紫地亀甲殿堂文錦」です。
出典:宮内庁|亀甲仏殿文錦
建物の中に人物を描いているシルクの文様はこの2つ以外、世界に例がないといわれる極めて珍しいものです。
シルクロードのメインルートは、法顕や玄奘三蔵法師が通ったことでも有名な河西回廊。河西回廊は中国の長安(現在の西安)を出発し、敦煌を通ってタクラマカン砂漠へと抜ける道です。玄奘三蔵は河西回廊を通って天山北路を経、インドへ向かいました。しかし、河西回廊のメインルートは戦乱によって遮断されることも多く、このような時期、東西交易路となったのが「青海の道」です。
西寧を出発し、タール寺、青蔵高原へ
取材班は西寧を出発した直後、「タール寺」に立ち寄っています。タール寺は青海地方で最大規模の、チベット仏教の名刹。40余りの仏殿が立ち並び、町そのものが1つの寺院を形成しています。そのタール寺は、年に4回度行われる「大法会」の真っ最中。タール寺の大法会は、寺の宝物である「タンカ」と呼ばれる釈迦の仏画を人々が丘の上に担ぎ上げ、丘の斜面に開帳して天日に晒します。タンカのサイズは、縦50メートル、横30メートルと非常に巨大。
西寧からタール寺を経て、そのまま西進。川に沿って谷あいの道を登っていくと、途中で分水嶺を越えます。するとそこから標高3000メートルの青蔵高原地帯に入ります。青海の道は国道109線と重なるため、青蔵高原付近までは比較的道が良いのだとか。
青蔵高原では、ヤクを飼うチベット族の家族が紹介されていました。ヤクは標高の高い草原で飼われている代表的な家畜で、その毛は衣服や天幕に使う布を編むのに使われます。チベット族の天幕住居の中は20畳ほどの広さ。中央に土を固めて作ったストーブがあります。このストーブで燃やしているのはヤクのフン。高原地帯は木が育ちにくいので、乾燥させたヤクのフンが貴重な燃料になるのです。
チベット族は、取材班に「ツァンパ」という食べ物をふるまっていました。ツァンパは、チベット民族の主食で、感想させた麦の粉のことです。器にツァンパを入れ、そこにヤクのミルクを入れたお茶を注ぎ、バターを溶かして食べるのが一般的。チベット族の人々は、指を使って器用にツァンパを食べています。
青蔵高原を過ぎて青海湖へ
青蔵高原をさらに西進すると、中国最大の湖「青海湖」が現れます。青海湖の広さは琵琶湖の7倍。天空のサファイアとも呼ばれ、19世紀、世界中の探検家が憧れた神秘の湖です。湖の湿気を含んだ風が周辺の山に当たって帯状の雲を作るのも、この湖ならではの風景。その湖畔には、オボと呼ばれるチベット仏教の祠があり、五色の旗「タルチョ」があちこちに巻きつけられています。
タルチョは悪霊や災難を追い払い、平和と幸せを願って信者が巻きつけていくものです。チベット族に古くから「神様が出入りする聖なる玄関」と信じられてきた青海湖、信者たちは湖畔にある石を1つ1つ積み上げて信仰し、そのため湖畔には賽の河原のように石が積み重なっています。
7世紀以降、青海湖周辺は、青海地方に勢力を拡大しようしていた唐と吐蕃の戦場になりました。やがて吐蕃の王は唐の皇帝・太宗に使者を派遣し、皇女を貰い受けたいと申し入れます。この申し出を受けた太宗は、娘である文成公主を吐蕃の王に嫁がせました。チベットに仏教をもたらしたのは、この文成公主だと言われています。
出典:Wikipedia
文成公主がチベットに嫁ぐとき、1ヶ月間逗留したという山あいの谷に「文成公主廟」が建てられています。周辺の岩には信者の手でチベット文字の経文が掘られ、廟の近くにはタルチョがびっしりと張られていました。文成公主はここへ逗留したとき、岩に大日如来の絵を描いたといわれ、それがこの寺院のはじまりと伝わっています。文成公主は和平と友好の象徴として今でも人々に篤く信仰され、文成公主廟は巡礼者が数多く訪れる巡礼地となっています。
文成公主の晩年、唐と吐蕃は再び戦火を交えました。この戦の様子を、詩人・杜甫が「兵車行」という詩に詠んでいます。
兵車行
古来白骨無人収
新鬼煩冤旧鬼哭
天陰雨湿声啾啾
【日本語訳】
君たちは見ないだろうか あの青海のあたりでは
昔から白骨を片付けるものもなく
新しい亡霊は恨みにもだえ 古い亡霊は泣き叫び
天が曇り雨に湿るとき その声はしくしくと泣いている
青海湖を西進し、都蘭へ
青海湖からさらに西へ300キロメートル。そこには都蘭というオアシスがあります。都蘭は人口5万人、漢族、チベット族、モンゴル族など様々な民族が住む町。近年、青海の道が注目されるようになったのは、この都蘭にある遺跡から大量のシルクが出土したことによるものです。番組冒頭で紹介した350点のシルクが出土したのも、この都蘭にある古墳です。
都蘭にある遺跡、地元民はそれを「九階妖楼(怪しげな高い建物の意)」と呼び、そのむかし鬼が住んでいたと信じて今も近づかないといいます。遺跡は高さ30メートル、幅160メートル。台形をした巨大な古墳で、一般には「熱水大墓」の名で知られている場所です。青海省の文物考古研究所の調べでは、この墓に埋葬されているのはモンゴル系の騎馬遊牧民「吐谷渾(とよくこん)」の王族だと考えられています。熱水大墓の周辺には小さな古墳が点在しており、その数およそ200。この古墳も吐谷渾の王族の墓とみられています。
吐谷渾は5~7世紀に青海の道で活躍した交易の民。7世紀、吐蕃によって滅ぼされるまで、東は四川省、西はタクラマカン砂漠に至る青海の道一帯を支配し東西交易の全権を握っていました。6世紀、北魏の外交官だった宋雲は、この吐谷渾の保護を受けて旅をしています。インドに赴く途中、吐谷渾に立ち寄った宋雲はその都の様子を記録に残しました。
都蘭には「文物公安」と呼ばれる遺跡の盗掘を専門に取り締まる警察があります。文物公安は1999年に組織され、中国の中でも都蘭と西安にしかありません。都蘭のような古墳の密集地帯は盗掘団に狙われやすく、3000あると言われる古墳のうちおよそ800が、すでに盗掘団の盗掘被害に遭ったといいます。都蘭の古墳から盗まれたシルクは、闇のマーケットで高値で売買され、海外のコレクターの手に渡るのです。
ゴルムド、ツァイダム盆地を経てアルチン山脈へ
都蘭をさらに西へ進むと、次に辿り着くのは「ゴルムド」です。ゴルムドは第二次世界大戦後、石油開発の拠点として新しく開発された計画都市。そのため、町中は整然と区画されています。ゴルムドからは南へチベット・ラサに通じる道と、北へ敦煌に通じる道とが伸びていますが、古代の青海の道はそのまま西へ伸びていたと考えられています。というわけで、取材班はそのまま西進。
ゴルムドをさらに西へ行くと、標高3100メートルの砂漠地帯「ツァイダム盆地」に入ります。東西800キロメートルにわたって砂漠が続き、オアシスや集落、遊牧民もの姿も見えません。ツァイダム盆地をさらに西へ進むと、「油沙山油田」という石油採掘施設が見えてきます。ツァイダム盆地の砂漠には、21億トンもの石油が埋まっていると考えられています。ここで採掘された石油が、ゴルムドの製油所に送られるのです。
ツァイダム盆地の砂漠を抜けると、次に待っているのは5000メートル級の山々が連なる「アルチン山脈」。
このアルチン山脈を越えた先にタクラマカン砂漠があり、その中にあるオアシス「米蘭(ミーラン)」が青海の道の終着点です。アルチン山脈に入り、山を1つ越えると標高3300メートルの盆地に出ます。そこに広がっていたのは塩の湖、塩湖。1キロメートル四方にわたって塩の結晶が浮き出ています。その昔、海だったこの大地は、乾燥化が進むにつれて土に含まれる塩分がしだいに濃くなり塩湖になったのです。
アルチン山脈で最も険しいといわれるのは、標高3800メートルの峠です。この峠を越えると、タクラマカン砂漠まで標高差3000メートルを一気に下ります。タクラマカン砂漠の中には、「米蘭(ミーラン)」と呼ばれるオアシスの町があり、この米蘭が青海の道の終着点。米蘭は、古代「鄯善(ゼンゼン)」と呼ばれる都があったと言われている町です。青海の道はここからシルクロードのメインルートにつながります。
中国青海省の西寧を出発し、やがて米蘭に至る青海の道は、距離にしておよそ1800キロメートル。新シルクロード第7回はこの青海の道を西へ進み、古代交易路として栄えた天空のシルクロードの風景を、そこに生きる人々や風俗を通して生き生きと描き出しています。終盤、ヨーヨー・マの音楽とともにアルチン山脈越えに突入するときの高揚感は言葉に尽くしがたいので、興味ある方はぜひ一度ご覧ください。新シルクロードは金を持っているNHKにしか作れない、贅沢なドキュメンタリーでした。はやくオンデマンド配信してほしい。