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おんな城主直虎がつまらないのは脚本じゃなく演出と配役のせい【特盛】

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」がつまらないのは脚本じゃなく配役と演出のせいでは……?という考察です。10月に加筆し「特盛りver.」になりました。2部から目立ち始めた主人公補正と、悪役不在の脚本にも言及してます。

「おんな城主直虎」は不人気なのか

メディアで「おんな城主直虎」が取り上げられると、必ずくっついてくる「低視聴率」というキーワード。近年の大河ドラマはどんな良作でも「低視聴率」や「人気低迷」のレッテルを貼られてコキ降ろされるのが常。あの平清盛や真田丸でさえ、低視聴率をネタに「面白くない!」「パッとしない!」と酷評されていたんですから、メディアの評価ほどアテにならないものもありません。

 

ちなみにメディアの評価を一切無視した私作の「2000年以降の名作大河ドラマ番付」がこちら。

2000年以降の大河ドラマ名作番付

 

ネットでは「脚本がつまらない!地味すぎる!」という感想が目立つ「おんな城主直虎」ですが、中世の陰鬱さ・悲惨さを前面に出した山本周五郎・藤沢周平的大河として見れば、脚本自体はそこまで悪くないかと。本作に関しては脚本よりも演出・キャスティングにこそ問題があり、この2要素が作品の足を引っ張っているように見える。というわけで、私の考える演出・配役の問題点を以下に挙げてみます。(※2部後半から脚本の粗が目立ちはじめたので追記しました。)

1. キャスティングが悪い

例年の大河ドラマに比べるとキャスティングが異様に地味な、おんな城主直虎。特に井伊家家臣の中野直之や奥山六左衛門、瀬戸方久に三枚目俳優を起用したのが致命的で、これは視聴率にも確実に影響を及ぼしているはず。おんな城主直虎に関するツイートや感想がほぼ高橋一生絡みであることからも、「二枚目俳優少なすぎんねん問題」はかなり深刻だと言えるでしょう。

 

本作では、三浦春馬・高橋一生が退場したあと、二枚目俳優枠は傑山(市原隼人)と、龍雲丸(柳楽優弥)のみになってしまう。どう考えてもここで大量の離脱者が出るため、本作の正念場は間違いなく武田の駿河侵攻後、政次処刑の直後になると断言できます。「2枚目俳優少なすぎんねん問題」を抱えたままで、果たして終盤のイケメン枠、井伊直政(幼名・虎松、菅田将暉)登場まで持つのでしょうか。

 

戦国大河のカリスマ・織田信長に市川海老蔵を持ってきたり、個性俳優の唐橋充を龍雲丸の父親役(端役)に使う時点で今後もキャスティングが脚本の足を引っ張る予感しかしませんが……。

 

あと、私の中には「アイドル・芸人を多数起用する大河は高確率で駄作になる」という認識があります。テコ入れとして行われることの多いアイドル・芸人の起用がプラスに働くことは極めて稀で、その素人演技が大河ドラマの緊張感を消し去り、作品のクオリティを下げるケースの方が圧倒的に多い。

 

おんな城主直虎一部では、今川が用意した偽家康役に芸人のほっしゃんが、検地のため井伊谷に派遣される岩松役に木村祐一が起用されており、あらすじを読むと二部からはダンカンや光浦靖子、TKOの2人も登場。こうした芸人多用のキャスティング、そこから生まれる素人演技も、おんな城主直虎をつまらなくしている原因の一端なのでは。

2. 主人公補正とご都合主義

この項「主人公補正とご都合主義」と、「悪役不在」は10月になってから加筆したものです。12話が終了した4月に「脚本は悪くない!」と書いたものの、2部後半から女主人公大河にありがちな乙女ゲーム的主人公補正が目立ち始め、脚本のご都合主義も目立ち始めたので、ちょっと苦言を呈したくなりました。

 

今川の寿桂尼も、井伊谷の村人も、龍雲丸たちも、これといった理由もないまま皆すぐ直虎に絆され、直虎を助けてしまう。直虎は直虎で、直親を暗殺した今川、政次を処刑に追い込んだ近藤、井伊谷を見捨て堀川城で虐殺を行った徳川、間者であった高瀬さえも菩薩のような心ですぐに許してしまう。こうした乙女ゲーム展開が続けば、当然「つまらない、面白くない」と感じる視聴者も出てきます。

3. 悪役不在

おんな城主直虎には、悪役らしい悪役がいません。正確に言うと、悪役は登場しますが脚本家がそのバックグラウンドをとても丁寧かつ魅力的に描いているので、悪役が悪役の役目を果たしていないのです。要は、悪役がみんな「なんだか憎めないやつ」になってしまっている。おんな城主直虎がつまらなく思えるのは、こうした「悪役不在」も大いに関係しているのではないでしょうか。

 

政次の父である小野政直、直親を暗殺した今川家、そして井伊谷に攻め入ってくる武田信玄、政次を処刑した近藤康用……。おんな城主の脚本は、本来なら本作一番の悪役になるはずの武田信玄にさえ、劇中で「生まれ変わったら太陽になりたい。風雨を調略し大地を豊かにしたい」と言わせ、その人間的魅力を描きました。

 

しかし、大河ドラマを見る視聴者層は当然、武田信玄の悪行の数々を知っています。寿桂尼の死を聞いて小躍りするのが、武田信玄という武将だと知っているわけです。信玄を悪役のまま退場させていれば、3部は今より盛り上がったのではないかと。

4. うっとおしいキャプション

龍潭寺和尚・南渓と次郎法師のシーンでは頻繁に仏教用語も登場します。仏教用語や専門用語、故事などはキャプションで画面上にデカデカと表示されるわけですが、これが毎度うっとおしくてしょうがない!

 

こうした「歴史に疎い視聴者へ向けた配慮」は不要でしょう。作中に登場した専門用語は公式サイトで解説しつつ、直虎紀行や歴史秘話ヒストリアで補完すれば済む話。よって、わざわざ作中にあんなキャプションを出す必要はない。

 

スポンサー・視聴者に配慮しすぎる演出については、大河ドラマ常連俳優の中井貴一氏が寄稿した2017年3月号新潮45「撮影現場の『コンプライアンス』狂騒曲」に詳しいので、興味ある方はぜひご一読を。中井貴一氏は記事内で「ついにドラマもここまで落ちたか」と語っていますが、NHK大河ドラマも年々「視聴者に配慮した過剰演出」が顕著になっており、作品の質を著しく低下させています。

今はネットもあるんだし、もっと視聴者に不親切で良いんですけどね。「分からない人はggrks!」で良いんですよ今は。キャプションだけでなく、囲碁の回想シーンでもたまに「パチーン!」という効果音出したりするでしょ?ああいうのも、わざわざ付けなくていい。視聴者の頭の中で勝手に鳴るんだから、そういうのは。

5. 破壊的に合ってない劇伴

大河ドラマの演出で重要な役割を担う劇伴。悲壮なシーンをより悲壮に見せ、合戦をさらに盛り上げる音楽は、まさに「演出の要」。

 

おんな城主直虎の劇伴を担当しているのは、日本屈指のメロディーメーカー菅野よう子です。ただ、ギターやサックス主体の菅野楽曲と大河ドラマが完全にミスマッチを起こしているので、劇伴が流れた途端ドラマが破綻するという有り得ない事態になっている。おんな城主直虎第27回「材木を抱いて飛べ」を調べてみると約17分ほど劇伴が流れていました。うるさすぎる。

6.  NHKの視聴者媚び

おんな直虎のサブタイトルに元ネタを仕込み、Twitterで話題にしてもらおう!というNHKと製作陣の「あざとさ」には、初回からイラッとしていました。真田丸のSNSプロモーション成功に味をしめた公式がこんな形でしゃしゃり出てくると、視聴者は一気に白けムードになるため作品の心象まで悪くなります。

 

作中で度々登場する「ナレ死」もそう。おそらく制作陣は「ナレ死させればTwitterで視聴者がネタにしてくれるはず!」と踏んでいるんでしょうが、真田丸を意識した演出で視聴者におもねるのは完全に逆効果ですね。そもそも、おんな城主直虎が作中でやっているのは「真田丸のナレ死」というより「天地人のナレ合戦補完」に近い。

 

というわけで、おんな城主直虎の不振要素は恐らくこれだろう……と思われる部分を挙げてみました。脚本自体はとても地味ですし、女性脚本家特有の現代思想エッセンスも盛り込まれてますし、お涙頂戴のご都合主義もわんさか出てきますが、脚本よりもその他要素が、おんな城主直虎をつまらなくしている原因ではないかと……。まあ2部後半からちょっと脚本の粗が目立ち始め、ネタ切れですか?と言いたくなる強引な展開も増えましたが。

 

芸人多用のキャスティングだけ見れば完全に駄作ですが、脚本がそれをどう調理するのか……。そしてあらすじを読む限り、どう転んでも無理そうな「二枚目俳優少なすぎんねん問題」は、いずれ解決されるのか……。色んな意味で最終回まで目が離せない「おんな城主直虎」、まだまだ絶賛放送中。

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