歴史

おんな城主直虎「嫌われ政次の一生」感想。視聴者が期待したのは奸臣・小野政次ではなかったか

昨日放送された、おんな城主直虎第33回「嫌われ政次の一生」。本作一番人気のキャラクター、小野政次の処刑という最大の見せ場にも関わらず、脚色しすぎな脚本と過剰演出にモヤモヤしている私です。というのも、私が期待していた展開はこれじゃない。私が見たかった小野但馬守政次はこれじゃないからです!!

おんな城主直虎 第33回「嫌われ政次の一生」あらすじ

本題に入る前に、「嫌われ政次の一生」のあらすじを復習。

前回、徳川と内通した直虎は、井伊谷へやってきた徳川軍を城内へ迎え入れます。が、その徳川軍に向かって矢が放たれ、現場は騒然。直虎はそれが井伊谷を狙う何者かの策謀だと気づき、開門しようとした政次へ「逃げよ!」と叫ぶ。

疑いをかけられた直虎は井伊家と政次の潔白を主張しますが、聞き入れてもらえず投獄。家康は、矢を放ったのが井伊谷三人衆だと気づきながらも、直虎の嘆願を無視して近藤に井伊谷を任せ、掛川攻めに向かいます。

捕らわれた直虎を救うため、政次は近藤の首を狙って寝所に忍び、自ら捕まる。その政次を救い出そうと牢に忍び込む龍雲丸。が、政次は「自分と直虎が逃げてしまえば、近藤の怒りが民に向く。ここは自分の命1つで済ませるのが最善の方法だ」と告げます。

「忌み嫌われ井伊の仇となる。私はこのために生まれてきたのだ」という政次の言葉を聞いた龍雲丸はそのまま引き返し、直虎に政次の意思を伝えて説得します。

そして政次は罪人として処刑されることに。直虎と南渓和尚たちも処刑に立ち会います。が、直虎は近藤が処刑の合図を下した瞬間飛び出し、近藤家臣の長槍を奪って政次の心臓を刺し貫く。

「地獄へ落ちろ、小野但馬!地獄へ……。ようも、ようも、ここまで我を欺いてくれたな。遠江一、日ノ本一の卑怯者と未来永劫語り継いでやるわ!」

「笑止。未来など、もとより女子頼りの井伊に、未来などあると思うのか。生き抜けるなどと思うておるのか!家老ごときに容易く謀られるような愚かな井伊が!やれるものならやってみよ!地獄の底から見届け……」

そこで事切れる政次。長槍を下ろし、近藤に一礼して去っていく直虎。井戸で失意にくれていると、牢番の者から政次の辞世の句を渡されます。「白黒をつけむと君をひとり待つ 天つたふ日ぞ楽しからずや」。それは二人にだけ分かる約束の言葉でした。

私が見たかった「小野但馬守政次」

おんな城主直虎の放送が始まってから、私は政次の処刑シーンをとても楽しみにしていました。史実では奸臣とされている小野政次を、このドラマはどう描くのか。そして最期の最期で高橋一生はどんな演技を見せてくれるのか。このシーンを見たいがためにドラマを見ていたと言っても過言ではない。でも「嫌われ政次の一生」を観終わったいま、その期待を裏切られた感じがしています。何度でも言いますが、私が期待していた小野政次はこういうのじゃないんですよ。

史実の小野政次は、今川氏真の命で虎松(のちの直政)の首を狙い、井伊谷を横領した「奸臣」。この「小野政次奸臣説」については諸説ありますので、おんな城主直虎ではあえて「奸臣を装っているが実は忠臣だった」という描き方をし、さらに生涯独身だったという設定に脚色しています。岡本幸江プロデューサーは「政次独身設定」について、インタビューでこんな風に語っていました。

実は、政次は史実では結婚していて、子どもと共に処刑されているんです。ただ、制作者の身勝手な思いですが、政次には独り身で、直虎を支えていてほしかった。そんな勝手な思いもあり、最後まで独身という設定にしました。

もうね、このコメントが全てを物語っていますが、おんな城主直虎という作品において、小野政次は「制作陣にとって理想の男性キャラクター」に脚色されてしまっているんですよね。その結果が第33回の、あの色々と残念な最期に繋がったんだと思うんですよ。好みの男性キャラクターを脚色しまくるのは、女性脚本家・プロデューサーの悪い癖。

私は、おんな城主直虎の小野政次は、やはり通説の「奸臣説」を採用するべきだったんじゃないかと思います。駿河侵攻~政次処刑~井伊家取潰しは、おんな城主直虎というドラマの、実質のクライマックスでしょう?そのラスボスが近藤康用というのは、あまりにもショボすぎるじゃありませんか。近藤が政次を憎む動機もショボいし。28話「死の帳面」から36話「井伊家最後の日」が全く盛り上がらなかったのは、「政次を死なせたのは近藤康用」という、このショボさも大いに影響していると思います。

28話からの流れは、まず闇落ちした政次が虎松の首を狙い、井伊谷を横領する。家康が井伊谷三人衆を派遣して井伊谷を奪還させ、敗走した政次は捕らえられ、子供とともに獄門、という流れにした方が確実に盛り上がったでしょう。近藤康用より、小野政次を直虎にとっての「ラスボス」にすべきだったでしょ絶対!!

そして、この直虎と政次の最終対決こそが、このドラマで私が最も見たかったものです。それなのに、途中から忠臣扱いになってさぁ……。政次を良い人に描いちゃったから、案の定、悪役不在でこのドラマグダグダですよ。

私が見たかった小野政次の一生

  1. 幼少時代、おとわに懸想するも、おとわが選んだのは亀之丞(闇落ちレベル1)
  2. 奥山朝利に襲われて殺されそうになるが、逆に朝利を刺殺(闇落ちレベル10)
  3. 今川へ讒言し、直親を死なせてしまう(闇落ちレベル20)
  4. おとわが自分のものにならないので、好きでもない女を娶る(闇落ちレベル40)
  5. 無能揃いの井伊家家臣。そのせいで直虎ピンチの連続。暗躍して直虎を助けるも、感謝されるどころか敵対心を持たれ、溝は深まっていく(闇落ちレベル60)
  6. 龍雲丸の登場。心を許しきっている直虎を見て愛が憎しみに変わる(闇落ちレベル70)
  7. 今川から虎松の首をとり、井伊谷を攻めろと命じられる(闇落ちレベル80)
  8. 虎松の首を取ることをためらい、子供の偽首を用意する(闇落ちレベル90)
  9. 直虎との溝がさらに深まり、井伊家の中にも政次の理解者はいないので、ついに頭がパーン!する(闇落ちレベル100)
  10. 政次、井伊家横領!が、のち破れて敗走。捕らえられ、子供とともに獄門(※子供の偽首の因果応報)。
  11. 政次の死後、政次が直虎と井伊家のために奔走してたことが明らかになるが、時既に遅し。

私はですね、直虎への愛と憎しみを抱えながら、闇落ちしてもう引き返せなくなった政次が井伊谷を横領し、敗走して獄門にされるところが見たかったんですよ。直虎が好きだけど憎い、井伊家が大切だけど直虎を苦しめる家なんて滅びてしまえ!みたいな、そんな葛藤をする高橋一生のキワッキワな演技が見たかったんです。父親である政直に「お前も俺と同じ道を辿る」という呪いをかけられ、その呪いに抗えずに闇落ちする政次が見たかった。おんな城主直虎を見ていた視聴者は、この「奸臣・小野政次」を期待していたんじゃないんでしょうか?

なんで磔にしちゃったの?

おんな城主直虎の第33話を見て一番疑問だったのが、小野政次の処刑を「磔」にしていたこと。磔にしたのは直虎に長槍で心臓を突かせ、「地獄に落ちろ!小野但馬!」と言わせたかったからなんでしょうが、私はこのシーンも「ここまで言わせないとダメなのかぁ……」と、かなり冷めた目で観ていました。最期の最期で政次にあんなベラベラ喋らせるなよ!と。

小野政次は決して饒舌なキャラクターではありません。本作の中では「奸臣を装った忠臣」という設定ですから、どちらかと言えば「言葉」よりも「目」で演技する、そういう人物です。いつも辛辣なことを言いながら、どこか心配そうに、愛おしそうに直虎を見ている。そして、冷静な言動をしながらも目の奥には激情が潜んでいる。高橋一生は、ずっとそういう抑えた演技をしてきたんですよ。だから処刑のシーンでもあんなベラベラ喋らせず、「視線で語らせる」、最小限の演出にすべきだったんじゃないのかな、と思いました。

加えて、小野但馬守政次は無様に殺され獄門首になってこそ、あの奸臣・忠臣ぶりがより引き立つんです。よって、処刑にあんな救い(心臓一突きで苦しまずに殺され、直虎に「地獄に落ちろ!」と呪詛に見せかけた告白をされる)も不要でしょう。

私はこの「最後の最後で政次に救いを与えてしまう」ところが、おんな城主直虎の限界かな、とも思いました。「黄金の日日」の杉谷善住坊鋸引き処刑と五右衛門の釜茹、「翔ぶが如く」の江藤新平梟首など、大河ドラマには印象的な処刑シーンが多くありますが、今回の小野但馬は死に際があまりに都合良すぎるので、大河ドラマ史に残る名シーン扱いにしたくないですね。

それに、直虎が政次の心臓を突いてしまうと、「近藤に殺された感」が薄れません?終盤(多分4部)、おそらく井伊谷を取り戻そうとする直政と、近藤に従っている直虎が対立するはず。直政は直虎に向かって「近藤は但馬を殺したのに!」的な発言をすると思われますが、今回の演出だとどうしても「政次を殺したのは近藤じゃなく直虎」のイメージが強いので、「?」となりそうです。

小野政次と偽首の因果応報

おんな城主直虎はこれまで様々な「因果応報」を描いてきました。第31回「虎松の首」では、偽首を用意する必要に迫られ、政次自らが幼子を殺し首をとった。ならば、やはり政次自信も、磔でなく獄門に処せられてその首を惨たらしく晒される因果を負うべきであり、史実通り、自らの子供も連座で処刑というほうが流れとしては自然なように思います。第33回の結末を最初から決めていたなら、政次はやはり既婚設定にするべきだったのでは。

別に何でもかんでも史実通りにしろとは言いませんが、政次の処刑シーンを磔にしたのは完全に改悪。私には、制作陣がドラマティックにしよう感動的なシーンにしようとして、政次の処刑シーンを感動ポルノに仕立ててしまったようにしかみえません。

森下脚本は、おいしい史実ネタはガンガン使うけど都合が悪い所は徹底的に無視する、というスタンスですが、直虎と政次に「地獄に落ちろ小野但馬!」「女ばかりの井伊が生き残れるものか!」というやりとりをさせたいが為に政次を磔にするっていうのは、やっぱり結構強引な展開に思える。

大河ドラマは「史実の縛り」がある中で、どれだけその史実を活かせる脚本を書けるかがキモなのに、獄門も政次既婚設定も無視したら、大河ドラマ・歴史ドラマとしての面白さが半減するじゃないですか。そういう意味でも、おんな城主直虎の小野政次は色々残念だったなと。

タイトルとURLをコピーしました