読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

よなかのはなし

LifeHacks And Hello!Project Blog

文体研究におすすめ!J・オーウェルの評論集と藤沢周平の端正な文章の世界

文章術

f:id:hiroseyonaka:20151215021222p:plain

文章を上達させようと思えば、優れた作家の文体研究をするのが手っ取り早い。作家の筆力は一概に測れるものでもないが、個人的におすすめなのは英国の作家・ジャーナリストのジョージ・オーウェルと、日本の時代小説家・藤沢周平だ。

 

世界中に優れた文章を書く方は沢山いるが、いくら上手くても個性が強すぎる文章は、お手本とするのには向かない。日本でもよく、明らかに村上春樹を意識しているなとかこの描写は三島由紀夫っぽいなとか、なんだよそれ江戸川乱歩かよと突っ込まずにはいられない文章に出会うことがある。

 

読み手としてならそういう文章に巡りあうのも楽しいと思える。ただ、こと文体研究に関しては、参考にした文章の癖強すぎると無意識のうちに癖が移ってしまい、どんな文章を書いても読者に「この文章誰かに似てるような…」と思われてしまう。文体よりも内容に注目して欲しい書き手としては、読者にささいなつまづきを与えるのはあまり好ましくない。

 

だから、文体研究は出来るだけ癖のない、さらりとした文章を書くライターや作家の文体を真似た方が良い。あとあと応用も効くし、その後「自分の文体」が確立されてきたとき、変な癖に邪魔されずに済むからだ。

 

ジョージ・オーウェル(英国作家、ジャーナリスト)

ジョージ・オーウェルといえば、代表作はなんといっても「1984」だろう。

 

ディストピア社会を描いた作品として他に類を見ない名作には違いないが、この「1984」からオーウェルの文章の魅力を感じ取ることはやや難しいのではないかと思う。海外文学の文章はどうしたって訳者の文章力に引っ張られるところがあるけれど、それを抜きにしてもだ。

 

はっきり言って、オーウェルは「象を撃つ」「絞首刑」をはじめとした評論集の文章の方が魅力に溢れ、文章的にも優れている。以下に、オーウェルの評論の中でも人気作の1つ、「絞首刑」の冒頭を少し引用してみたいと思う。

 

ビルマでのある雨に濡れた朝のことだった。黄色いアルミ箔のような弱々しい光が刑務所の高い壁の向こうから差し込んでいた。私たちは死刑囚の監房の外で待機していた。立ち並ぶ鉄格子が二重に嵌められた小屋はまるで動物用の小さな檻のようだ。それぞれの監房はおおよそ十フィート四方で板張りのベッドと飲み水の入った水差しの他には何も無い。監房のいくつかでは茶色の肌をした無言の男たちが毛布にくるまって内側の鉄格子の向こうでうずくまっていた。彼らは死刑囚で一、二週のうちに絞首刑に処されるはずだった。

「絞首刑」ジョージ・オーウェル

 

 オーウェルの評論集で現在発売されているのは、平凡社ライブラリーの川端康雄訳と岩波文庫の小野寺健訳。

 

そして、オーウェルの評論に関してはすでに著作権が切れ、Project Gutenbergでも原文が読めるため日本語に訳しネットで公開してくださっている方も多い。いずれの訳を読んでもオーウェルの文筆の持つ雰囲気は十分に伝わってくるので、もしも評論集が手に入らない場合は、ネットで評論を読み文章研究に役立てるのもいいかもしれない。

 

【参考】

Fifty Orwell Essays Project Gutenberg 

実験記録 No.02 : 【日本語訳】ジョージ・オーウェル評論集

象を撃つ

 

 

 藤沢周平(時代・歴史小説作家)

藤沢周平さんは個人的に一番好きな作家だが、小説の内容もさることながら文体がとても端正でさらっとしている。どの作品も読みやすく、癖がない。私自身、平易な文章を書こうと意識しながら文章を考えてもこうはならないので、いつも藤沢作品を読む度にこれがプロの作家の文章かと感心しきりだ。

 

特に注目すべきは風景描写の美しさと心理描写の丁寧さ。藤沢作品を読み込んでいくと1つの感情や風景をどこまで装飾するべきなのか、そのバランスが自然と分かってくる。

 いま、手元に短篇集「橋ものがたり」があるので、その中の「殺すな」から、読んでいる人間の心に染み込んでいくような心理描写を引用してみよう。

 

「いとしかったら、殺してはならん」

 

そう言ったとき、善左エ門の眼に不意に涙が盛りあがり、涙は溢れて頬をしたたり落ちた。善左エ門は眼をそらさずに吉蔵を見つめていた。涙の意味は、吉蔵 にはわからなかった。それなのに、善左エ門をゆさぶった悲しみが、なぜかわかる気がした。吉蔵は、自分の眼にも涙が溢れるのを感じた。人間というやつは、 なんてえ切ねえ生き物なんだ、と吉蔵は思っていた。

「殺すな」橋ものがたり

 

 前後の話の繋がりを知らなくても、これだけの短い文章で魅せるから藤沢作品は凄い。男性、女性、老人、子供と、登場人物が違えばきちんと心理描写の振れ幅も異なって見えるから不思議だ。

そして、風景描写に関しては同じく「橋ものがたり」から「吹く風は秋」の冒頭を引用する。

 

江戸の町の上にひろがっている夕焼けは、弥平が五本松にかかるころには、いよいよ色あざやかになった。

 

南から北にかけて、高い空一面をうろこ雲が埋め、雲は赤々と焼けている。そして西空の、そこに日が沈んだあたりは、ほとんど金色にかがやいていた。その 夕焼けを背に、凹凸を刻む町の屋根が、黒く浮かび上がっている。あちこちの窓から灯影が洩れているが、壮大な夕焼けの光の下では貧しげな色に見えた。小名 木川の水が、空の光を映し、その川筋の方がはるかに明るく見えた。

「吹く風は秋」橋ものがたり

 

 心理描写にしろ、風景描写にしろ、常に物語を見つめる藤沢周平のまなざしは優しい。そのまなざしがそのまま文章に現れているから、文章の1文1文に安らぎさえ感じる。

しかし、「吹く風は秋」の冒頭の「貧げな色」という表現は、素人じゃちょっと思いつかない。単純にすごい。

 

 

 よく「乾いたような」と表現されることの多い藤沢さんの文体だが、描写やセンテンスの長さ、言葉選びに関しても、まるで物書きの教科書のような文章だ。

 

一般的に、文章を書く時は漢字率は30~35%ほどが良いと言われる。藤沢さんの文章は漢字率20~30%程度と予想(初期作品の「暗殺の年輪」なんかはもう少し高いような気もする)。

文章を1つの固まりとして見た時にバランスが良く見えるのは、この漢字率の関係もあるかもしれない。文章力を上げるために小説を模写するなら、日本人作家は藤沢周平を選んでおけば100%間違いない。

 

まとめ

一時期、どうしても藤沢周平さんの文章や表現を身につけたくて、ひたすら模写と朗読をしていた事がある。朗読を繰り返して暗唱出来るくらいまで読み込んでいくと表現のバリエーションが自分の中にストックされていくので、模写よりも朗読の方がおすすめ。